幸せとは
これに気づいたのは幸せについて思考を巡らせていた時。
参った時によく考えるトピックスの一つなのだが、4〜5年前に、すでに自分は幸せを掴んでいた、つまり自分が幸せな事に気づいた。
当時の僕はインディーズながらもレーベルに所属させてもらっていて、自分の音楽で食べていけることや、曲が売れることを考え、作曲しながら生活していました。しかし、
売れる曲≠作りたい曲
という現実に悩まされていました。
DJ、ライブのギャラを幾らで、月何本出演すれば生きていけるのか?その為に何をしなければならないのか?
そんな事を考えていた(この時点で本質的な音楽の事を考えてない)。
そのうち作曲が進まなくなり、何を作りたいかわからなくなってしまった。もちろん気分は最悪で、俗に鬱という状態でした。
鬱ってのは誰にでもあるものなので、僕は病気というよりはバイオリズムの一つと捉えてます。
で、結局好きな事やってるはずなのに参ってるんですよね。当時は音楽に挫折して倒れている人たちの幻覚をよく見ました。足元に沢山倒れてました。
漠然と、この見えない壁を超える事を諦めたら自分もこうなるんだという事はわかりましたし、足元の亡霊たちは挫折させようと寄ってきます。
すごい悩みました。もう作曲自体が辛かったからね。
辞める方向へ考えを巡らせていくと、そこには一般的な幸せな生活がありました。
どんどんイメージを加速していくと、音楽を辞めて歳を取った自分が見えます。
その自分がこう言います。
毎日つまらない、これはお前の幸せとは違うよ。と。
それで幸せってマジで何なのかを、真剣に考え始めました。
色んな幸せな形を考えた結果、僕の個人的な幸せを言語化する事に成功しました。
僕の幸せは、
三食ご飯が食べれて音楽を作っていられる環境。
猛烈に鬱状態の俺でしたが、今の自分を見つめてみると、
気分はどうあれ僕は毎日三食たべて毎日音楽を作っていました。
んん、、?あれ?あれれれれ?
もしかして今、俺幸せなのかも!?
っていうかこれ以上の幸せは無いぞ?
俺、ずっと幸せだったのか!!!
そうだったのか、俺すでに幸せだー!って
視界が一気に明るくなった事をハッキリ覚えています。
挫折した亡者も見えなくなりました。
結局好きな事で食べていく(稼ぐ)必要は無くて、好きな事を好きなまま(好き以外のファクターを加えずに)続けていく事が大事なのだと。
※あくまで僕の場合の幸せです
人に認められたら嬉しいけど、それが自分の幸せか?と問うと違いましたね。
本来、個人の幸せに他人が入る余地(売れるとか人気が出るとか)は無いという事に気づきました。
そして、別トピックスで書く予定ですが、比べられない事を比べる人が多いので、幸せを人と比べないように。