出会い
ふと出会い、出会うという事について考えが巡った。
マルタに着いて1週間が経った。
ミッコが経営していたレストランの2階に住ませてもらい、毎日美味しい食事を食べさせてくれる。エスプレッソを入れてくれたり、必要であればビールもガブガブ飲ませてくれる。
毎日僕が必ず使うお金は1.5€のカプチーノだけである。
カプチーノも自分が勝手に飲んでいるだけで、食後にはマサさんがエスプレッソを入れてくれたりするので、外で飲まなければ基本的にお金を使わないで生活できる環境にある。
正直言ってミッコとマサさんに甘えまくっているのだが、この辺はすぐにでは無く、いつの日か恩を返せるタイミングがくると思っている。
2018年にミッコと出会い、2019年にはルーマニアでミッコの主催するゴアギルのパーティにDJとして呼んで頂いた。
そして2020年僕はミッコの住むマルタまで来てしまった。
正直この人とよく出会えたなと、ミッコに出会えた人生に感謝している。
出会いとは偶然なのか必然なのか?
これに関しては人間が判断できる部分では無いと思った。個人がどう思いたいかで充分な部分だと思う。
それで、そもそも出会いってなんだ?みたいな思考に陥った。英語でencounter.
日本語の好きな所の一つが漢字一つ一つに意味があって、熟語は漢字が組み合わさったもの。つまり熟語は因数分解(因字分解?)可能である。
出会い=出る+会う
これ間違って無いですよね。ここから真剣に考えると、人と出会う為にはそもそも自分が出ないとならないわけです。
さらに、自分が出たとしても、相手が出てなければ出会わないという事になります。
つまり、出会うという事象は、ある環境や状況から飛び出た人同士が会う事。
という結論に達しました。
どちらかが出てない状況で会った場合は知り合うという事になるのだと思う。
それで、住みなれた場所とか、慣れた環境から飛び出るというのは勇気が必要な事で、何かを求めるから飛び出るのだと思う。
変化や今までと違う何かを求めて飛び出るわけで、飛び出た先には求める何かがあるはず。
気づきは後からやってくる。
出会ってからじゃないと出会いに気づけない。
日暮れ後、オレンジの街灯が石畳を照らす。いつもは硬く見える石造りも柔らかく見えるマルタの夜。
散歩を切り上げ、ゆっくりと帰路につくと、すぐさま車から声を掛けられた。
夕飯の買い出しに向かうミッコだった。
車が通れないような路地を歩くのが好きなので、ミッコとすれ違える区間は非常に短い。なんという偶然だ、と嬉しくなったが、ミッコは僕とここで会えると確信していたらしい。
助手席に乗ると1分もしないうちに大粒の雨が降り出した。
本質的な意味で出会った人同士って奇跡だ。
*1:恩返しについては、また別トピックスで書きます