現在地を知らない
03/10/2020
到着した日の事を書いておこう。
恐らくだが20時頃、クリスが目星を付けてくれていた空家に到着。到着した直後からフォードのバンはエンジンがかからなくなった(笑)
クリスの友人ダニエロのファミリーが持っている空家で、ダニエロが案内してくれた。
ダニエロについては後述するが、今後彼がキーパーソンになる気がしてならない。
兎にも角にも今までの感覚とはかけ離れた世界が僕達を待っていた。
仮宿はこの道に面している。
水道は湧き水からダイレクト。ガス無し。リビングに暖炉とソバ(薪のオーブン)。石造りで天井低めで形が丸い。
裸電球。大きなテーブル、その上には水差し。モカ(エスプレッソ淹れるやつ)。石の匂いと炭の匂い。
隅から隅までアリエッティ。
映画やアニメで見るヨーロッパが現存し、かつ生活に利用され、そこに自分が住む事になるなんて想像していなかった。
日本で例えるなら白川郷に引っ越して来たような感じだろう。
自分が絵本の中にいる。
新たな、そして予想を飛び越えた物語が始まった事を実感する。
行動を起こすと自分の意思とは無関係に物語が進んでいく。物語の方向性を決めるのは自分だが、内容については想像できないような事が山ほど用意されているのである。
自らの視点で見て、大胆な行動に比例して、急激かつ予想外に事象は加速していく。
事象の渦に巻き込まれた時に、冷静に客観的に事象を観察する事が大事なのである。
上記の悟りは荷物運びの時に少々の諍いがあり、負の感情が頭の中をグルグルしていたが、寝る前にタロットで深層心理を読み取って気持ちを整理している時に感じた事。
別記する事にする。
到着後からクリスとダニエロの友人が集まり始め、荷物を運び終わった頃には6人くらいのイタリア人青年が家にいた。
歓迎会でもしてくれるのだろうか?
超激ウマい湧き水を飲みながら、自己紹介やここへ来た経緯など話している間にも時折人が訪ねてくる。
疲れもありミッコ達は0時ごろ床についた。
正直言って自分も最強に疲れていたのだが、圧倒的なワクワクドキドキ感で、疲労感と睡眠欲は次元の彼方へ消えていた。
恰幅のいいチーチョがボードゲームを出し、それぞれゲームの配置についた。
全く見た事のないボードだが、見た感じモノポリーみたいなタイプかと思われる。チーチョもあまり一般的なゲームでは無いと言っていた。
大まかなルールを聞いて、ゲームの進捗を見守る。
なんとなく、ダニエロがこの仲間内でリーダーシップを取っているような気がした。
それにダニエロの見た目がビト・コルレオーネ(ゴッドファーザーPART2)の若い頃にそっくりなのである!!!?
顔はそんなに似てないかもしれないけど、滲み出るファーザーオーラが凄い。
ダニエロだけが立って何か喋る事があるのだが、ゴッドファーザーが会議を仕切ってる感がね、マジでたまらん。
少し離れて眺めると、映画の中で映画を見てる感じ。ダニエロが真顔で喋るたびに俺はニヤニヤニヤニヤしていた。かっこよすぎる。
実際彼がリーダーなんだと思う。
夜な夜なおとづれて来る人々は気付いた時に12人になっていて、今夜は一体なんの日なんだ?と。
のちに解った事だが、この場所は携帯電話も繋がらない。
ダニエロは彼等のグループチャットに「ボードゲームやる人、集合。」ぐらいに書き込んだ。
すると、あれよあれよという間に12人が集まってしまい、ダニエロ自身も超びっくりしていて、僕等が来たら自分の仲間も集まってきたと不思議なシンクロニシティを感じていたようだ。
そしてボードゲームは6人までしか出来ないルールで、後から来る人々はガッカリしつつも久しぶりの再会を喜びあっていた。
僕はというと、ゲームに参加できない方々に早速イタリア語を習い始めた。
有意義かつ幸福な時間はあっという間に過ぎ去り深夜3時頃ボードゲームが終了する。
終了して5分経たない間に7人帰った(笑)
ゲームに参加出来ずに消化不良な青年達とカード(トランプ)で遊んだ。
ルールもなんとか理解して、記憶力を競うタイプのゲームが始まった。非常に楽しい時間だった。
テレビゲームも楽しいし大好きだけど、ボードとかカードとかアナログなゲームは大切だと思う。
コミュニケーション能力、洞察力、テレビゲームとは違う方向の思考力。
楽しさの方向性も違う。麻雀とか楽しいもんね。
話がずれた。
ローカルの人達とのファーストインプレションとしては、個人的に最高の形で絡む事が出来た。
宴もたけなわだが、最後にもう一回やるか?と聞かれたので、もちろん!!
全員ガッツポーズで喜ぶ(笑)
そして恐ろしく、とてつもなく長い1日が終わった。(感覚的に1日なだけで、実質50~60時間)
とにかく物事を客観的に見つめ、感情に流されず知性と経験で判断する事の大切さを学んだ。
かなり辛かったり、とても悲しかったり、結構悔しかったりしたけど、それを外に出したところで、その感情は消えない。
少し外に出ちゃったりもするけど、日々それを少なくしていこうと心に誓うのであった。
エゴを捨てるのだ。