期待
昨日(1/11/2020)は満月で、ピエモンテに来てから月齢が一周した。
永住したくなる土地を見つけるため、また現代日本にいる事に疑問を持ったので日本を出た。
別の言い方をすると、吐き気のするような嫌な事が重なって頭も精神もウワーッとかき乱され、色々嫌になって日本を出た。
孤独に生きると心に決めたにも関わらず、日本人の八方美人体質に嫌気がさしたという心の動きもある。
近くに友達が居ると、友達に期待してしまう自分も嫌だった。
少し前から気になっていた事がある。
と、書き出して400文字くらい”友達”という事について書いたのだが、結局全て自分のエゴという事がわかり削除した。
友達も含め周りが自分にしていることは、結局自分も周りにしている事だ。
事象は一連の流れでミクロな視点で円を描き繰り返し、マクロな視点では渦を巻いている、という事なのだろう。
レコードのように外から中へ。
音楽や音に心底ハマっている理由は、絶対に裏切らないから。
例えばロックが好きだったけど最近はダブ、とにかくダブが最高なのよ!低音重くて最高ですよ!モクモク!とかなっちゃっても、ロックが裏切ったりロックが変わったわけでは無い。たまに聴いたらやっぱロックも良いな、などと言い出す。
自分の趣味や気分が変わっただけで音楽自体(相手)に変化は無い。
自分が好きな音楽は好きなまま変わる事なく存在し続けてくれる。
なんという幸せな事だろうか。
こんな事なかなか無い。
好きなものが自分にとって最高な状態をキープしている。まじで最高。
蓄音機から始まる録音の歴史に感謝。
あなた達のおかげで俺は色々な事を考える事が出来るようになりました。ありがとう!
他に絶対に裏切らないもの(感情が含まれるもの)を地球上で見つけた人は教えて欲しい。
植物達の勝手に伸びていくってのはまたジャンルが違うと思うのでスルー。
ちなみに俺は絶対に裏切らないものをもう1つ知っている。
それは自分だ。
自分に裏切られちまって気分は最悪だよ!なんて人は居ないはず。
素面でそんな事を話し始めたら多重人格を真っ先に疑われるだろう。
ただ、自分で自分を裏切る人は沢山いる。
それは自分に裏切られたのではなく、自分が裏切っただけで、裏切られたとは意味合いが全然違う。
俺は自分を裏切りたくは無い。ので自分の倫理と理論で人に接するし、付き合う人間は厳選する。
そして期待はできる限り自分にする。人に期待して傷つくのは自分だ。
自分が期待しといて自分で傷つくなんてバカな事に精神を割いている余裕など無いのだ。
ちなみに助けてもらう事は期待とは違う。
「あの人は助けてくれるはず!」これが期待。
その人に対して「困ってるから助けてくれ~!」と言うのは期待では無く援助を求めているだけで、助けてくれる人がいるならガンガン助けてもらった方が良い。
そして助けてもらったら、いつか返せる時に恩を返そうと思う事が大切だが、直接返せない場合には間接的に(相手にはわからなくてもいい)返したり、
恩を回すという考え方も存在する。
それはつまり、自分が助けた時と同じ状況の人を見つけたら助けると言う事だ。それだけで恩は回る。
恩を回す事が出来たらその恩はひたすら世の中を回る事になるだろう。これは徳、まさにお徳だ。
恩義というのは日本の素敵な文化だと思うのだ。
恩を受けた側が、いつか恩を返せるようになろうと自分に期待し成長していく。素晴らしい。
恩返しというのは与える側では無く受ける側が考える事であり、恩を着せがましいのは実質と大きくかけ離れる。
もちろん恩知らずという言葉もあるが、恩返しに期待しなければ、恩知らずと思うことも全く無いのである。
どうやらこの世に自分の悲しみや寂しさを理解してくれる人は居ないようだ。
寂しい事だが、個人の悲しみを理解する他人は存在しない。
悲しい事だが、人の寂しさを理解しようと努めてくれる人はいるが、行動や形として外界に発信される事はほぼ無い。
人に期待するから寂しかったり悲しかったり傷ついたりするのだ。
そんな事は数年前に気づいている。
ただ、自分の根底に、友達にはそれを理解して欲しいというエゴがある。
人間は、感動には共感出来るが、感情には共感出来ないように作られているという考え方が浮かんだ。
そう考えると色々な事に合点がいく。
合点がいったところで久しぶりに身のある文章が書けた気分になった。
が、実は途中からは、いつも通り何が言いたいのかわからなくなってしまっていた(笑)
しかし俺が人様に何か言うなんて、俺って何様?なので、
この文章を読んだ人がそれぞれが何か思う事があったりして、その後の人間関係改善の役に立てばとは思う。